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http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title 語り手の介入度の定量化と表現形式の連続性 : 三人称物語の場合 Author(s) 山岡, 實 Editor(s) Citation 大阪府立大学紀要(人文・社会科学). 1991, 39, p.131-141 Issue Date 1991-03-31 URL http://hdl.handle.net/10466/10755 Rights

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Title 語り手の介入度の定量化と表現形式の連続性 : 三人称物語の場合

Author(s) 山岡, 實

Editor(s)

Citation 大阪府立大学紀要(人文・社会科学). 1991, 39, p.131-141

Issue Date 1991-03-31

URL http://hdl.handle.net/10466/10755

Rights

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語り手の介入度の定量化と表現形式の連続性*           一三人称物語の場合一

山 岡 三

は じ め に

 三人称物語に現れる当該の衷現形式について、ほんの少しでも登場人物の視点の支配が感知

でぎる場合、一般的に、.ある種の表現形式(例えば自由間接話法)を除いて、ほとんどす縛て

の表現形式は、語り手が登場人物と一体化し登場人物の目(視点)からのみ見たものとされ、

語り手の存在(声)は不問に付される傾向がある。そうすると、三人称物語の表現形式は、登

場人物の目から見たものと語り手の声だけしか聞こえないものと二項対立的にしか存在しない

ことになる。が、現実の物語テクえトを観察するとすぐわかるように、この三項対立的関係で

はとうてい処理仕切れない複雑な伝達様式から成り立つ表現形式が無数に存在する。それでは、

このような三人称物語の表現形式についての偏った見方は、何に起因しているのであろうか。

その答は、例えば、Fillmore(1981)u)に典型的な形で示されている。

圃㎞ore(1981>では、 narrated monologue styleの物語とされるJames Joyoeの‘Eve五ne’

の次のような一節を引用して、

(1)That was a long time ago;she and her brothers and sisters were an growll up;

 her mother was dead, Tizzie Dunn was dead, too,_Now she was going to go away

 like the others, to leave her home.

この(1)は、agoおよび直示的要素Nowを含んでいることから察知できるように、登場人物

Evelineが回想している時点の視点から描かれたものである、と指摘する。さらに、次の(2)

のように、

(2)with the exception of tenses and pronouns, deictic and expressive elements in the

 text are to be contextualized from the point of view of七his character aもthe point

 in the time line of the narrative...

直示的・感情的要素は、登場人物の視点から文脈化され得るが、過去時制と三人称代名詞はそ

の限りではない、と論じる。このように、Fillmore(1981)では、登場人物の視点と関連する

言語的要素だけに触れ、過去時制と三人称代名詞は、その存在を認めているものの、いわば、

見てみぬふりをしてそれらの存在意義には触れようとしていないことがわかる。

(131)

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 そうすると、三人称物語に現れる表現形式の伝達様式を特徴づける際、これまで、視点と言

語表現の関係という観点から、登場人物の視点と関連する言語的要素だけが強調され、三人称

代名詞と過去時制については、しばしばぐ黙殺されてきた‘2)ことが、上記の偏った見方の原

因となっていると考えられる。が、三人称・過去時制という枠組みの強力な制約を受ける英語

の三人称物語では、この三人称代名詞と過去時制の存在の有無こそ、物語の伝達様式上、重要

な意味を持ってき、様々な伝達様式の可能性に影響を及ぼすのである。

 そこで、本稿では、まず、そのこれまで無視されてきた三人称代名詞と過去時制にスポット

ライトを当て、それらの物語の伝達様式上における存在意義を示す。そして、’次に、この両言

語的特徴の有無と伝達様式との関係を考えることによって、本質的には曖昧なもので、数値化

することは極めて困難なことであるが、敢えて、語り手の介入度の定量化を試み、三人称物語

の表現形式は、二項対立的な分布状態を呈するのではなく、語り手の様々な介入度を反映した、

一つの連続体を成すものであることを論じてみる。

1 三人称代名詞・過去時制の有無と物語の伝達様式

 三人称代名詞というのは、登場人物を客観的に対象化するという点に、また過去時制という

のは、出来事を発話時から見た過去のものとして表現するという点に語り手の存在を感知でき

る言語的特徴で、それらが存在するかどうかが、語り手の存在の有無を決定することになり、

物語の伝達様式上、重要な意味をもってくる。まず、三人称代名詞(登場人物の視点の支配す

る場面において登場人物自身を指示する)を消去することは、語り手が三人称代名詞の指示す

る登場人物を客観的に対象化することをやめ、その登場人物の視点に移入して、自らは姿を消

し、その登場人物が問題の場面に遍在する意識の主体(言語的には表現されない)になること

を意味する。従って、当該の表現形式によって表される出来事は、その意識の主体である登場

人物の目からみたもの、あるいはその登場人物の意識の支配するものとなる。一方、過去時制

を消去することは、語り手が登場人物の発話点に移動して、自らは消え失せ、その登場人物自

身が当該の表現形式によって示される出来事の語り手になることを意味する。このように、登

場人物自身を指示する三人称代名詞の有無はwho sees?という視点の問題に、一方、過去時

制の有無はwho speaks?という物語る声の問題に関係していて、これら両言語的特徴の有無

により、三人称物語の表現形式の様々な伝達様式の可能性が考えられる。

2 語り手の介入度の定量化

 ここでは、三人称物語における当該の表現形式が、三人称代名詞と過去時制、それぞれの言

語的特徴の有無により、どのような伝達様式を示すかを考え、その表現形式における語り手の

介入度を定量化してみる。㈲こめ介入度というのは、本質的に曖昧なもので、数値化すること

は困難なことであるが、直観的に見て介入度に違いが存在することは確かなことであり、敢え

て、科学の主観化を意図するファジィ理論‘4)よろしく、その数値化を試みてみる。従って、

(132)

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それぞれの数値の大小関係は変わらないが、数値自体は、人の主観によって変わりうる、恣意

的なものである。尚、三人称代名詞および過去時制の有無は、それぞれ、視点の問題および物

語る声の問題に関係することから、who sees?のレベル、 who speaks?のレベル、双方のレ

ベルにおける語り手の介入度が同時に対象となる。従って、それぞれのレベルにおいて語り手

の介入度の最高の場合を1、最低の場合を0とすれば、総介入度数は0~2の範囲にわたるも

のとなる。

2.1内的独白

 まず、登場人物を指示する三人称代名詞および過去時制が両方とも消去される場合を考えて

みる。例えば、次の事例(3)と(4)を見てみよう。

(3)Few inside七he Webcoe building even saw him, so fast did he drop by. Owing to

 the velocity of his fa11, Gus’sperceptions were heigh七ened and he had certain spiritual

 insights:

 _ガ解一1α癖π’sαγ窃〃:y∂癩伽’(㎜’履46s々…

 ’捌ん〃α㎎{γ03sゴガα勉帥加〃。∫」θ93…

 (W.Kotzwinkle, S麗鱒伽〃)

 事例(3)は、登場人物Gusが超能力を発揮してビルの中を透視している場面である。まず、

斜体部の二つのrNP+ving」句では、登場人物Gusを指示する三人称代名詞は消去され、

語り手が登場人物Gusの視点に移入し、 Gusがこの場面に遍在する意識の主体になっている

ことがわかる。次に、このrNP+Ving」句では、語り手の存在を示す過去時制の動詞(was)

が消去され(元の文はfine-lookin’secretary was bendin’over that desk/’nother one was

crossin’atough pair of legs)、語り手の声が聞こえなくなった非定形式(bendin’・crossin’)

が用いられていると考えられ、語っている主体は登場人物Gusであることがわかる。従って、

ここでは、語り手が登場人物Gusの視点に移入し、意識の主体となったGusが超能力によ

りWebcoeビルの中を透視したその時のGusの目から見ている出来事を、 Gus自身が語っ

ているものを表している、と言えよう。

(4)Facing the house, he stares up at his bedroom window. In the early morning, the

 room is his enemy;there is danger in just being awaRe.伽,’oo戴㎎ゆ,露ゴsα紹卿.

 (J.Guest,0縦ゴ脚y P60μ8)

 この事例は、登場人物he(Conrad)が玄関の階段に座って友人のLazenbyが車で迎えに

くるのを待っている間に、自分の寝室の方に目をやり、寝室についての思いに耽っていく場面

である。斜体部の懸垂分詞(100king up)および主訴(it is a refuge)では、登場人物CQnrad

を指示する三人称代名詞は消去され、語り手が登場人物Conradの視点に入り込み、 Conrad

(133)

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がこの場面に遍在する意識の主体になっていることがわかる。懸垂分詞には、意識の主体であ

る登場人物Conradの寝室を見上げている意識が感知でき、聖節では、その見一ヒげている時

に感じた寝室についての印象が述べられている、と言えよう。また、懸垂分詞では、時制に中

立的な非定形式が用いられ、主節では、語り手の存在を示す過去時制ではなく、現在時制が用

いられていて、語っているのは登場人物Conrad自身であることがわかる。そうすると、こ

こでは、意識の主体である登場人物Conradが体験している出来事を、 Conrad自身が語っ

ているものを示している、と言えよう。

 このように、三人称代名詞と過去時制、両方の言語的特徴が消去された場合、物語の伝達様

式上、語り手は登場人物の視点に移入すると共に発話点にも移動し、自らは完全に姿を消すた

め、登場人物が(彼の現在から)知覚している・体験している出来事を、その登場人物自身が

(彼の現在から)語っている表現形式が、つまり、内的独白が表される、と言える。(5》従って、

who sees?のレベル、 who speaks?のレベル、共に語り手の介入度は0で、語り手の総介入

度数0の表現形式となる。

2.2視点と物語る声の並存表現(1)

 次に、登場人物を指示する三人置代名詞は消去されるが、過去時制は消去されない場合を考

えてみる。例えば、次の事例(5)と(6)を見てみよう。

(5)“Nick,”someone said softly, almost whispering. Nick swiveled his head. Z冨磁2㎜s

 舘媚伽9認伽6㎜o〃1徳惚∫’〃3.(E・M・Corder,7%θ1)o〃伽毎σ)

(6)Havi㎎seen the green apricot, Ulysses squirmed, got do㎜, and then ran for home,

 not d齢apPoillted, only eager to tell someolle. A肋, o彪qプ形s舘。解,吻剃ノ拗痂〃磁が

 (W.Saroyan,7解物〃㎜Go吻θの)

 (5)の斜体部の進行形を含む文および(6)の斜体部の倒置構文では、それぞれ、登場人物

Nick・Ulyssesを指示する三人称代名詞は消去されていて、語り手が登場人物Nick・Ulysses

の視点に入り込み、Nick・Ulyssesがこの場面に遍在する意識の主体となっていることがわか

る。従って、‘ i5)の進行形には、意識の主体であるNickが、なぜ、今頃こんな場所にLinda

がいるのだろうかと不思議に思って注視している意識を読み取ることができる。また、(6)の

倒置構文には、意識の主体であるU玉yssesが、 Araの店から出てきた人物を知覚し、その人

物がAra自身であることがわかった、ということが示されている。このように、ここでの進

行形は、意識の主体である登場人物がある対象を今まさに目の当たりに知覚している意識を反

映し、進行形を含む文全体では、登場人物の目から今まさに知覚している出来事が示され、一

方、倒置構文では、意識の主体である登場人物がある場所から出現した対象を知覚して同定化

するという今まさに進行している認識過程を反映していることがわかる。

 が、(5)の進行形のbe動詞には、 wasという過去時制が用いられ、(6)の倒置構文の動詞に

も、steppedという過去時制が用いられていることに注目しなければならない。過去時制とい

(134)

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うのは、語り手の時制であり、この点に語り手の声が聞こえ、語り手の存在を感知することが

できる。従って、進行形を含む文の場合、ある出来事を知覚している観点は登場人物にあり、

その登場人物の視点から今まさに知覚している出来事が伝えられるが、その知覚している出来

事を語っているのは語り手であることになる。また、倒置構文の場合、対象を知覚して同定化

している基点は登場人物にあり、その登場人物の視点から今まさに進行している認識過程が伝

えられるが、その認識過程を語っているのは語り手であることがわかる。

 このように、三人称代名詞は消去され、過玄時制は消去されない場合、物語の伝達様式上、

語り手は登場人物の視点に移入して一体化することができるが、発話点には移動することがで

きず、語り手の声が聞かれるため、登場人物が(彼の現在から)知覚している・体験している・

思考している出来事を、語り手が(発話点から見た過去の出来事として)語っている表現形式

が表される、と言える。この点、ここで取り上げたタイプの表現形式は、出来事を今まさに知

覚・体験している登場人物の視点の存在を感知でき、さらに語り手の物語る声も聞こえるとい

う意味において登場人物の視点と語り手の物語る声が並存する表現形式である、と言えよう。‘6》

従って、who sees?のレベルでは、三人称代名詞が消去され、語り手が登場人物の視点に完

全に移入しているため、語り手の介入度は0で、who speaks?のレベルでは、過去時制が用

いられているため、語り手の介入度は1となり、合わせて総介入度数は1となる。

 その他、次の事:例(7)・(8)の斜体部のような自由間接話法を含む文やある種の分詞構文もこ

のタイプの表現形式に属するものと考えられる。

(7)She seemed as though she couldガ竜understand why Laura was there.吻d蹴π

 膨αガ陥ツz螂〃πss伽卿s≠㎜乖「η9加〃昭航。伽瞬んα∠us舵’~卿厩㎜s鉱α〃αわ伽~

 (K.Mansfield,7初G媚侃Pα吻α雇α伽S嬬’8s)

(8)He rushed to the porch and saw nothing but the ink-black storm.7伽αう01’o∫

 ’∫9㍑痂gs1∫c84〃短s々y,伽切戸〃襯吻伽9〃昭伽㎜y.(E・Segal・ル伽・伽伽徽1

 c観4)

が、これらの事例は、この視点と物語る声の並存表現のうちでも標準形とも言うべきもので、

それら以外に、語り手の登場人物の視点あるいは発話点への移入度の違いに応じて、無数の並

存表現が存在する。

2.3視点と物語る声の並存表現(II)

 先に見た標準形としての視点と物語る声の並存表現は、比較的数値化しやすいものであるが、

問題となるのは、標準形以外の並存表現である。これらの並存表現は、事例(5)一(8)と同じよ

うに、常に過去時制が用いられているため、who speaks?のレベルでの介入度は1であるが、

who sees?のレベルにおいては、語り手の登場人物の視点への移入度に応じて様々な介入度

が示され、その結果、総介入度数も1≦~≦2にわたり、無限に多様な下位表現を構成する。

以下では、この多種多様な下位表現のうち典型的なものを取り上げ、それらにおける語り手の

(135)

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介入度を定量化してみる。

 まず、次の事例(9)・⑯を見てみよう。

(9)When he had finished the first bottle of beer he ordered another.... The doors

 of the bus opened but Elaine shook her head at the driver and then the doors closed

 and the bus moved on.7池㎜彰紹s∫㈱謡磁’㎎’馬脚房s励」6.(C.Webb,η紹G伽θ)

α① Liking him she opened the door and looked out. It was raining harder. A man

 in a rubber cape was crossing the empty square to the cafe. The cat wo1且d be around

 to the right. P励αヵs s舵㎜1冨80σ’o㎎励7漉θ8α昭s.(E.Hemingway,℃at in the

 Raiゴ inη惚S㎜s o∫κゴ〃㎜」勉箔。)

事例(9)の斜体部の進行形には、事例(5)の場合と同じように、意識の主体であるheが、一瞬

はっとして、なぜ、そのウエイトレスがそこに立っているのかと不思議に思いながら視線を注

いでいる意識を感知することができる。また、動詞にも過去時制(was)が用いられているた

め、この限りでは事例(5)の場合と全く同じことが言えるが、ただ意識の主体である登場人物

を三人称代名詞hisを用いて客観的に対象化している点に語り手の声を垣間見ることができ、

事例(5)の場合と異なって、語り手が登場人物の視点に完全に移入仕切っていないことがわか

る。また、事例O①の斜体部の自由間接話法の文では、登場人物sheの意識の対象が、先行す

る二つの進行形によって示されている眼前の出来事から、突然the catに移行し、 the cat

の居場所、そこからそこに行き着く方法について思いをめぐらしている意識が示されている。

最初の文のlooked outから明らかなように、二番目以下の文では、登場人物の視点の支配

する場面が描かれていて、問題の自由間接話法の文までは、事例(5)・(7)の場合と全く同じこ

とが言えるが、この自由間接話法の部分では、意識の主体である登場人物自身を指示する場合、

三人称代名詞sheを用いて客体化している点に語り手の声を聞くことができ、ここでも、語

り手が登場人物の視点に完全に移入仕切っていないことがわかる。このように、両方の表現形

式とも、語り手は登場人物の視点に移入しているが、完全に移入仕切っていないため、時折、

部分的にその存在が三人称代名詞として姿を現しているのである。従って、who sees?のレ

ベルにおいて、それぞれ、事例(5)・(7)の場合よりも語り手の介入度が0.2増すとすれば、who

speaks?のレベルにおける介入度1と合わせて、総介入度数は1。2となる。

 次に、事例αηを見てみよう。

ω Once he had reached over and taken his wife’shand without looking at her...

 Loo雇㎎碓oss〃勿s惚α挽’oω厩伽鯛α㎜断召謝㎜馳9α躍伽〃αz初α泌4 s8θ

 〃磁s舵勿4δθ8ηαδ」6’osθ6漉。励oJ6砺η9・(E・Hemingway・η諺S鰯、磁妙yムゴノ診。∫

 莇㎜詮ル勉。伽伽)

この場合、Xing句では、登場人物heを指示する三人称代名詞は消去されていて、語り

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手が登場人物heの視点に移入し、 heがその場面に遍在する意識の主体になっていることが

わかる。従って、Xing句には、意識の主体である登場人物heが今まさに知覚している出

来事が示されている。一方、聖節Yでは、登場人物自身を三人称代名詞heを蔵しΣて対象化

している点に語り手の声を聞くことができ、登場人物heの認識している体験を語り手が対象

化して客観的に描写したものが示されている。が、主節Yには、seeという視点の所在を含

意する動詞が用いられていて、視点の所在は、heにあり、 heの視点が支配していることがわ

かる。そうすると、斜体部のXing, Y構文全体では、知覚しているうちにある認識に至る

という登場人物の今まさに進行している認識過程が示されていることになる。が、主節Yに

おける三人称代名詞りeは、前例(9)・⑯のように、その場面に遍在する意識の主体ではなく、

ただ視点の所在だけを示す、語り手により対象化されたheであり、その分語り手の介入度が

より高いものになっていると考えられる。従って、who sees?のレベルでは、語り手の介入

度が前例(9)・㈲の場合より0.2塔すとすれば0.4となり、who speaks?のレベルでの介入度

1と合わせて、総介入度数は1.4となる。

 さらに、次の事例(12)を見てみよう。

(1鋤 ‘He hasn’tchanged at a11,’he said. But纏。海㎎P’加〃20〃2認。ゾ’加忽〃’α即ゴ癬

 雇∫伽41勿癬α」’加’露㎜3勉θμ∫うJy s’o膨7.(E.Hemingway,7劾α4ル勧伽4漉θ

 s8α)

 この場合、Xing形式には、意識の主体であるheが手にあたる水の動きをじっと見てい

る意識が感じられ、他方、主節Y、では、そうしていると水の動きがかなり遅くなうているこ

とに気づいた、ということが示され、ほぼ前例ωと同じことが言える。が、ただXing句

に三人称代名詞hisが用いられている点が異なり、前例⑪と比較すると、この点、語り手が

.登場人物の視点に移入しているが、完全に移入仕切っていないことになり、その分who sees?

のレベルでの語り手の介入度が0.2増すとすれば0.6となり、who speaks?のレベルでの介

入度1と合わせて、総介入度数1.6となる。

 最後に、次の事例⑯・⑯を見てみよう。

⑯ S勉100々α」4α伽㎜α’加γ加磁3αS伽%8たS舵㎜S,勿加ツ,S顔㎎∫舵㎜」獅1)伽9

 ∫η’加〃2.(A.Christie,π6 Eb〃。躍)

(1の S勉π肋67∫伽g履’初ッ㎜88α腕g’o鋭θθ”加’αガ㎜.She described where she’d

 been-everywhere, here, there, along by the sea.(K.Mansfield,η諺G磁θπP観y

 伽4α1凋r5’(♪磁3)

 斜体部の二文では、三人称代名詞、過去時制が共に存在するため、語り手の声しか聞こえな

い表現形式のように思われるが、視点が主語のNP(登場人物)にあることを示唆する知覚動

詞・思考動詞が用いられていて、登場人物の視点から今まさに出来事を知覚している・思考し

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ていること、つまり、登場人物が知覚行為・思考行為を現実に体験していることが示されてい

る。が、このことは、これまでの事例のように、語り手が登場人物の視点に移入し、意識の主

体がその場面に遍在していることを意味するのではなく、あくまでも、当該の登場人物に視点

の所在があるということだけが示され、語り手は登場人物の視点にほんの僅かしか移入してい

ないのである。このように、このタイプの表現形式は、その登場人物の知覚している・思考し

ている体験を語り手が対象化して客観的に描写したものである。従って、語り手が登場人物の

視点に移入している度合は極めて低く、who sees?のレベルでの語り手の介入度を0.8とす

れば、who speaks?のレベルでの介入度1と合わせて、総介入度数は1.8となる。

 さらに、次の事例㈲のように、her grandmotherとかto herのherに登場人物sheの

視点の存在が感じられる場合がある。

㈲She dragged伽8瞬発伽do㎜to伽and kissed her under the dオn.(K.Mansfield,

 Bl∫∬伽4α伽s’碗θ3)

この場合、who sees?のレベルでの語り手の介入度を0.9とすれば、 who speaks?のレベル

での語り手の介入度1と合わせて、総介入度数は1.9となり、語り手の存在が大きくクローズ・

アップされ、ほとんど三人称代名詞および過去時制が両方とも存在する表現形式に近くなる。

2.4 その他の表現形式

 前節では、視点と物語る声が並存する様々な表現形式を見たが、これらは、三人称代名詞と

過去時制が両方とも存在する、語り手の声しか聞こえない表現形式へと無限に収束していく。

後者の例を一つ挙げてみると、

⑯ Hercule Poirot was sitting in the Victorian summer-house.漉み伽〃s’田図。乃

 プ㎞z雇s加。々6’6帽’α歪4ゴ’oη’舵’αわ16勿プ㎞0ゾ痂解.(A.Christie,∠4プ}〃’ん91丹㎜1)

この場合、三人称代名詞、過去時制、両方の言語的特写とも語り手の存在を感知できるため、who

sees?のレベル、 who speaks?のレベル、両レベルにおいて語り手の物語る声しか聞こえず、

語り手の総介入度数2の表現形式となる。

 一方、事例⑯と対極に位置する内的独白にほとんど近いが,若干語り手の声が聞こえる事

例(1ののような場合を見てみよう。

07)She had to think of him-to remember_Cornwa1L.. The black rocks,もhe

 smooth yellow sand....CyriL whining a little alway6, pulling at her hand.‘I want

 to swim out to the r㏄k, Miss Claythome. Why can’七Isw㎞out to the r㏄k?’Lα廊馳g

 ゆ一〃26θ’あzg魚80’sθツθ3ωゆ。勉η9加ア.(A・Christie,ノ掘η醜7勧6伽ハ㎞8)

(138)

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 この場合、事例(4)と同じように、登場人物she(Vera)が意識の主体となっていて、 she

が体験している出来事を、she自身が語っているものを示している。この限りでは、総介入度

数0の内的独白であるが、すぐ後のmeeting Hugo’seyes watching herにおけるherには、

意識の主体を三人称代名詞を用いて客体化している点に語り手の声を聞くことができ、この点、

語り手は登場人物の視点に移入しているが、完全に移入仕切っていないことがわかる。従って、

who speaks?のレベルでは、介入度0であるが、 who sees?のレベルでの語り手の介入度を0.2

とすれば、総介入度数は0.2「となる。

 また、次の事例⑯を見てみよう。.

⑯ Lucy flushed shghtly. Scrappy remembrances passed across her mind. Cedric, leaning

 against the pigsty wall. Bryan sitting disconsolately on the kitchen tab二e.ノ1〃勉」’s

 戸冗卿3’o纏πg伽6αs勿初」ρ¢4加7co〃θc”勉ooノァ診6αφs.(A.Christie,4.50 Em〃2

 1「α自筆9ず0η)

 この場合、前例㈲とほぼ同じことが言えるが、as節に過去時制helpedが用いられている

点が異なり、語り手が登場人物の発話点に移動していないことがわかる。従って、その分前例

(切よりもwho speaks?のレベルでの語り手の介入度が0.4増すとすれば、 who speaks?の

レベルでの語り手の介入度0.2と合わせて、総介入度数は0.6となる。

2.5 まとめ

 この章では、三人称物語の中から恣意的に選び出した表現形式を対象にし、それらの表現形

式における語り手の介入度の定量化を試みた。その結果、得られたwho sees?のレベルおよ

びwho speaks?のレベルにおける語り手の介入度および総介入度数を一覧表で示すと、次め

ようになる。

      表現形式

贒?xのレベル

(3)・(4) (1の ⑱ (5)一(8) (9)・(1① (11)

⑫ ⑬・(1萄 (1句 ⑯

who sees? 0 0.2 0.2 0 0.2 0.4 0.6 0.8 0.9 1

who speaks? 0 0 0.4 1 1 1 1 1 1 1

総介入度数 0 0.2 0.6 1 1.2 1.4 1.6 1.8 1.9 2

 このように、三人称物語の表現形式の間には、語り手の介入度・(総介入度数)の漸次的違い

が存在し、一つの連続性を形成していることがわかる。当然のことながら、対象となる表現形

式がもっと増えれば増えるぽどその違いも細分化された精密なものとなるであろう。が、ここ

では、そういった違いが存在するということだけ認識することにとどめておきたい。‘η

(139)

Page 11: 山岡, 實 - core.ac.uk · 言語的要素だけに触れ、過去時制と三人称代名詞は、その存在を認めているものの、いわば、 見てみぬふりをしてそれらの存在意義には触れようとしていないことがわかる。

お わ り に

 以上、本稿では、「はじめに」で指摘された三人称物語の表現形式についての偏った見方は、

登場人物の視点と関連する言語的要素だけが強調され、三人称代名詞と過去時制が、しばしば、

黙殺されてきたことに起因しているとし、まず、その登場人物自身を指示する三人称代名詞お

よび過去時制に焦点を当て、それらの物語の伝達様式上における存在意義を示した。そして、

次に、この二つの言語的特徴の有無と伝達様式との関係を考え、who sees?のレベルとwho speaks?

のレベル、両レベルにおける語り手の介入度の定量化を試みた。その結果、三人称物語におけ

る表現形式は、二項対立的な分布状態を呈するのではなく、語り手が登場人物の視点あるいは

発話点に移入している度合により語り手の様々な介入度を反映し、中間に位置づけられる事例

(5)一(8)のような視点と物語る声の並存表現(語り手の総介入度数1)を基準にして、一方は

語り手の物語る声しか聞こえない表現形式(語り手の総介入度数2)の極に向かって、他方は

ミメーシスとしての内的独白(語り手の総介入度数0)の極に向かって無限に連続体を形成し

ていることがわかった。

* 本稿は、拙稿1990a,(「内的独白の実現方法について一三人称物語の場合一」大阪府立大学英

 米文学研究会『英米文学・研究と鑑賞』38,pp.65-82。)と1990 b.(「視点と物語る声の並存表現に

 ついて」『相愛大学研究論集』6,pp.47-58.)を「語り手の介入度の定量化」という観点に基づいて発

 展させたものである。

1)Charles J. F童1㎞ore,‘Pragmatic8 and the Description of Discou㈱’,in Peter Coleα1.,1翻媚

 P短g㎜’幻s(Academic Press,1981)pp.143一{16.

2) また、K批e Hamburger,7】吻Lq藪。∫〃’〃π’螂dTrans。 Marilynn Rose), Indiana University

 Press,1973.により、過去時制は叙事的過去として現実の時間的な過去の意味作用を失った非時間

 的なものとされた。が、この所見は、登場人物の時間軸(本稿でいうwho sees?のレベル)だけを

 認めた結果生まれてきたもので、本稿のように、語り手の時間軸(who speaks?のレベル)も併せ考

  えると、妥当でないことがわかる。

3) 尚、ここでは、物語内容および物語世界の対象に対する評価的語句に見られる語り手の介入度は考

 慮に入れていない。

4)カリフォルニア大学のザデー教授が1965年に提唱した数学の「ファジィ理論」に由来する概念。ファ

  ジィ理論は、ファジィネス〈あいまいさ〉の中にこそ、つまり、二値論理的な0と1に還元されない

 部分にこそ思考の本質があるとする。さらに、論理性に言語の本質を見ず、このファジィネスこそが

 言語の本質だとする。菅野道夫『ファジィ理論の展開』(1989,サイエンス社)・「科学と〈ファジィ〉」

 市川浩他編『技術と遊び』 (1990,岩波書店)を参照。

5) 英語の三人称物語における三人称。過去時制という枠組みの強力な制約により、全く純粋な意味に

 おいて語り手の登臨人物の視点への移入と発話点への移動が同時に行われることは、極めて稀なこと

 で、何らかの形で語り手の声が聞かれ、その可能性の範囲は極めて限定された局所的なものである、

 と言える。尚、三人称物語における内的独白については拙稿(1990a)を参照。

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6)従って、この並存表現というのは、可能な限りミメーシスとしての表現形式に近づこうとするが、

 どうしても三人称・過去時制の枠組みを突破できず、その客観性を依然保ち続けているもので、英語

 の三人称物語の一つの典型的特徴を形成していると共にその限界を端的に示すものである。詳細につ

 いては、拙稿(1990b)を参照。

7)語り手の介入度の数値は、この一覧表では、漸次的違いを明示するため、かなり典型的な形で表さ

 れているが、ここで重要なのは、厳密な数値の違いではなく、介入度に漸次的違いが見られるという

 ことである。

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