商工会活動報告 - maebashi-cci.or.jp ·...

2
20 E-Mail [email protected] HP http://www.fujimi-shoko.com 富士見商工会 商工会活動報告 観光地赤城山は、様々な取組みにもか かわらず来訪者が伸びておらず、大沼周 辺の活気が失われてきました。そこで富 士見商工会では、前橋行政県税事務所の 助成により、「赤城姫、渕名姫、伊香保 姫の萌えキャラパネル」の試作品を作成 し、パネルのお披露目を行い地域の活性 化に繋げようと考えています。 「赤城山の魅力再発見」のテーマで専 門学校の生徒が作成した、赤城山の伝説 をもとに製作したキャラクターパネルを 8月5日(土)、赤城神社の境内で発表し ました。本物の赤城姫、渕名姫と並んで 撮影会を行いました。 今回の事業を支援してくれた前橋行政 県税事務所の呼びかけで8月20日(日)、 伊香保温泉石段の周辺で行われたイベン トに、パネルを展示しました。前橋・渋川・ 伊勢崎の三つの行政県税事務所のテント 横の道路フェンスに掲示したところ多く の観光客の目にとまりました。 ■赤城姫・渕名姫、伊香保姫の萌えキャラパネルを試作発表 富士見地域の農業・商工業の発展と技 術や経営の改善意欲の高揚を図り、市内 生産物や事業者に対する消費者の理解を 高め、活力に満ちた地域づくりを進める とともに、富士見地域の魅力を市内外に 発信するため、「富士見産業祭」を本年 も開催いたします。 各種イベントの他、会員事業所のテン トも出店いたします。多数のご来場お待 ちしております。 ○日 時 11 月 3 日(金)文化の日 9 時~ 15 時 ○会 場 道の駅ふじみ (富士見ふれあい公園) ■富士見産業祭が開催されます 赤城神社にて 伊香保にて

Transcript of 商工会活動報告 - maebashi-cci.or.jp ·...

Page 1: 商工会活動報告 - maebashi-cci.or.jp · (1616)年に越後国頚城郡「長峰」に3万石加増の5 万石の城主として転封となりました。 大胡歴史研究会では、7月16日、長峰城址を訪ね、

富士見商工会からのお知らせ

20

前橋市富士見町小暮104ー

1 

TEL

027ー

288ー

2593 

FAX

027ー

288ー

4889

E-M

ail 

fujimi-shoko@

dune.ocn.ne.jp  

HP http://w

ww

.fujimi-shoko.com

■お問合せ

富士見商工会

商工会活動報告

観光地赤城山は、様々な取組みにもかかわらず来訪者が伸びておらず、大沼周辺の活気が失われてきました。そこで富士見商工会では、前橋行政県税事務所の助成により、「赤城姫、渕名姫、伊香保姫の萌えキャラパネル」の試作品を作成し、パネルのお披露目を行い地域の活性化に繋げようと考えています。

「赤城山の魅力再発見」のテーマで専門学校の生徒が作成した、赤城山の伝説をもとに製作したキャラクターパネルを8 月 5 日(土)、赤城神社の境内で発表しました。本物の赤城姫、渕名姫と並んで撮影会を行いました。

今回の事業を支援してくれた前橋行政県税事務所の呼びかけで 8 月 20 日(日)、伊香保温泉石段の周辺で行われたイベントに、パネルを展示しました。前橋・渋川・伊勢崎の三つの行政県税事務所のテント横の道路フェンスに掲示したところ多くの観光客の目にとまりました。

■赤城姫・渕名姫、伊香保姫の萌えキャラパネルを試作発表

富士見地域の農業・商工業の発展と技術や経営の改善意欲の高揚を図り、市内生産物や事業者に対する消費者の理解を高め、活力に満ちた地域づくりを進めるとともに、富士見地域の魅力を市内外に発信するため、「富士見産業祭」を本年も開催いたします。

各種イベントの他、会員事業所のテントも出店いたします。多数のご来場お待ちしております。

○日 時 11 月 3 日(金)文化の日     9 時~ 15 時○会 場 道の駅ふじみ     (富士見ふれあい公園)

■富士見産業祭が開催されます

赤城神社にて

伊香保にて

Page 2: 商工会活動報告 - maebashi-cci.or.jp · (1616)年に越後国頚城郡「長峰」に3万石加増の5 万石の城主として転封となりました。 大胡歴史研究会では、7月16日、長峰城址を訪ね、

前橋東部商工会からのお知らせ

21 Vol.10

前橋市鼻毛石町1426ー

1 

TEL

027ー

283ー

2422 

FAX

027ー

283ー

7103

E-M

ail 

maeto-s@

myg.or.jp 

 

HP http://w

ww

.myg.or.jp

■お問合せ

大胡藩主牧野忠成公の移封先長峰を訪ねる

 天正 18 (1590)年、徳川家康の関東入国(江戸入城)に伴って、大胡城には家康腹心の臣下牧野康成公が二万石の譜代大名として入城。康成公は慶長9 (1604)年に忠成公に大胡藩主の座を譲り、慶長 14(1609)年に大胡において没しました。2 代目藩主忠成公は譜

代大名として大胡城から大坂の陣にも参陣して戦功をあげ、その功が 認 め られ、元和 2

(1616)年に越後国頚城郡「長峰」に 3 万石加増の 5万石の城主として転封となりました。 大胡歴史研究会では、7 月 16 日、長峰城址を訪ね、地元「越後長峰城址保存会」の皆様の丁寧な案内で城址の現状を見学することができました。以下現地見学と、いただいた諸資料を参考に長峰城址について記してみました。 長峰城址は、現在新潟県上越市吉川区長峰小字古城にあり、北陸自動車道の柿崎インターチェンジから南へ車で 10 分前後の所に位置しています。 城は、北側を長峰池、南側を犀ケ池(現在干拓されて水田)及び周囲を低湿地帯に囲まれた標高 35 メートルの長峰と呼ばれる細長い小丘陵地を利用して築いた城です。(第 1 図) 長峰に転封となった牧野忠成は、元和 4 (1618)年には 1 万 4 千石加増の 6 万 4 千石で越後長岡へ転封となり、長峰在城は僅か 2 年間でした。このため、2年足らずの短期間で城を完成させることができたのかという疑問もあり、以前は、牧野氏は長峰城築城中の2 年間は長峰に移らず、大胡城にそのまま在城を続け、長岡転封にあたっては、大胡から直接長岡へ入ったとされる説が強かったようですが、近年長峰城の古地図や、長峰転封直後に出された忠成公の花押のある「城近在の樹木伐採を禁じる掟書」が出されていること等、

新しい資料が確認され、藩主忠成も長峰に移り築城にも取り掛かっていたとの説が強くなっているようです。長峰城保存会の方々も強く主張しておりました。 しかし、忠成の長

岡転封後は藩主が不在で城は荒廃、さらに明治以降は、城の土塁を大規模に取り崩して城の南にあった犀ケ池や周囲の湿地帯の埋立てに利用する等して、城の原形は大きく変わったようですが、中心の本丸の部分はしっかり保存され、縄張りの様子や立派な土塁や空堀も保存状態もよく(第 2 図)、見ていると築城への思いも伝わってきます。 城址見学に先立って保存会の方から渡されました資料が「長岡城主前任の長峰城跡(新潟県上越市)・大胡城跡(群馬県前橋市)の現場報告」と題する地元研

究者横山勝栄氏の現場調査報告書です。そして、この報告書の第 1 ページに掲載された長峰城跡本丸と大胡城跡本丸の縄張り図(第 3 図)を見て一瞬「あれっ」と思いました。二つの城の本丸跡の形があまりによく似ていることへの驚きでした。 大胡城に在城した牧野氏(康成・忠成)は、自分が在城した 26 年の間に積極的に城の改修に努めたようです。要所・要所に石垣を積み、必要に応じて縄張りの一部も改め、最終的に現在残る大胡城に仕上げたのです。この城改修には牧野家藩士たちが直接関わり、改修にあたっては城の各所をつぶさに観察したでしょうし、改修の設計にも関わり城の構造は熟知していたことでしょう。 一方、大胡城からの移封先の長峰には、藩主の在城すべき城はなく、まずは新任地の拠点として築城に着手する必要がありました。もちろん築城に関わるのは牧野家藩士たちです。大胡城と長峰城は、幅が狭く、細長い形状の丘陵上に造られた城という共通点もあります。二つの城の縄張り図を見ていると、長峰に新しい城を築くにあたっては、自分たちの手で改修してきた前任地大胡城のイメージを強く持ち、

「大胡城をモデルに造ったのかな」とも考えられるところがあります。ただ、この思いは、縄張りの図を見たときの直感であって、なんの根拠もない思いでしたが、帰宅した翌日、前記の横山勝栄氏の現場報告書を見ておりますと、最後の「むすびのことば」の所で『上州にあって 16 世紀後半から続いてきた前任の崖脇の居城(大胡城)、改修型本丸を、いわば外観モデルとして相似する城郭(築城時には本丸)を新任地の拠点に新為政者は築城。』と記しているのを見て、「やはりそうであったか」と意を強くすると同時に、ますます長峰の地に親しみを感じているところです。 城址のある丘陵は第 1 図に見るように丘陵全体が大小の灌木に覆われ、城の中心本丸に近付くのも困難な状況であったようですが、現在は「越後長峰城址保存会」の皆様の手で、本丸跡の主要箇所の灌木を幅数メートルにわたって伐採し、土塁や空堀の形状をつぶさに見ることができるようになっています(第 2 図)。保存会の皆様の城址に向ける熱い思いに頭が下がります。 蛇足となりますが、長峰城址保存会の皆さんは、今年で開催 3 回目となりました「大胡城・牧野氏まつり」のイベントにも毎回参加していただいて、牧野氏を通じての交流が続いており、これからの交流深化を願っているところです。

第1図

長峰城の丘陵地と

長峰池(矢印下本丸)

第2図

土塁上面から見る

南土塁と空堀

第3ー1図

大胡城本丸・二の丸の縄張り

大胡歴史研究会 

松本

浩一

第3ー

2図

長峰城本丸の縄張り

(写真は「越後長峰城址保存会」撮影)